小説の話。モチベーションの上げ方、ネタの捻出に関して。

事の発端

プロットは出来ている。ただ、やる気が起きない。
ネタが思いつかない。モチベーションが湧かなくなった。

などのヤル気の低下の問題について自己流の突破口を思い付いたので一応記しておく。メモ。

その1。モチベーションの上げ方、ヤル気の出し方

執筆への動機というものは小説家にとって命といっても過言ではないだろう。誰しも小説家という生物は面白いから小説を書くのであって、決して金目当てや利己的な目的から成るものではない。要するに小説は自己満足の塊ということである。ただ、昨今の編集状況を聞く限り、強制やヤラセが微塵に含まれてしまうのは仕方のないことである。この話においてはまた別の機会に語ることにする。
モチベーションを上げるには如何すればいいのか。一次創作においても二次創作においても、この問題に悩まされた作家は幾人にも上る。事実、web上ではモチベーションの低下が原因でサイト運営が滞り閉鎖に及んでしまう例など過多にも渡る。私はそういうサイトを見て非常に残念に思う。素晴らしい小説だからこそ世に残させるべきだ。もっと多くの人々にこのサイトを知って欲しい。詰まる所、世界遺産や天然記念物などと同じ理由である。しかしながらweb小説に限定するとなると話は別だ。それこそ著作権や何やらが絡んできて小説自体が作者一人だけのものではないからだ。また、それとは別にサイト運営するに当たって小説の閲覧を強要するわけにはいかないのだ。何しろ、作家とて一人の人間。人権あってこその人であるからに、強制運営をさせるわけにはいかないのである。
閑話休題
話を戻そう。モチベーションの増加に関してだが、これの問題に当たっては過去に戻るのが一番である。原点回帰、初心に戻る、何様にも言えるが要するに"自分がこの小説を書くに至った経緯を思い出す"ことが大切である。方法は多岐に渡る。それこそ自分が書いてきた小説を読み返すのだ。こんなこともあった。こうやって書いた。そういった過去の自分に投影することでモチベーションの上昇を図ることも可能である。そして、中でも"黒歴史"というものは必要不可欠である。語彙の種類が小学生並み、ボキャブラリーの少なさに俺号泣、起承転結の欠片もねえ、など思い返すことはあるだろうが、それでいいのだ。今、黒歴史を読み返すことによって私は自作の至らなさに批判、駄目出しを与えた、注釈を入れた――――"手直しを加えた"のだ。今ここで私は一つの壁を乗り越えた。それはモチベーションの壁である。黒歴史を読み返すことによって半ば強制的な形ではあるが、文章を書いたのだ。ヤル気がない時に、増してやスランプ時にだ。これは大きな成果である。希望である。明日への礎である。――――同時に、私は"二つ目"の壁を乗り越えた。一つ目は言うまでもなくモチベーションや執筆に対する意欲、そして二つ目は、過去の自分の筆力と比較することにより"実力の向上が見られた"ことである。これは一つ目のモチベーションの問題に迫る程の成果である。何せ、小説家というものは文章力や筆力に関して非常に過敏なものである。実際問題、つい先程でも自分の黒歴史の文章に対しても執拗なる意思が見られたのであるから説明するほどでもないだろう。

その2。ネタの捻出

そして、次に語ることはネタに対するモチベーションの上昇である。上記したものが小説を執筆する上での大前提であるから、逆にネタなどの内容に関する構想が浮かばなければ話にならないのである。要するに、その1がスランプ時における対策であり、その2がネタの浮かばない作家に対する対策と言えよう。とは言っても、ネタの捻出というものは各々の考え方によって異様に異なる。新しい展開を考える者、王道を行く者、それこそ展開の仕方は人の数だけあるのだ。故にこの場では余り込み入ったことは口に出さず、私の経験談のような形になる。
私がネタの捻出に困った時はひとまず気分転換を行う。気分転換といっても散歩に行ったり、睡眠を摂ったりと小説から掛け離れたことをするのではなく、ひとまずメモ帳などのエディタから目を離してネットサーフィンに勤しむのである。ニコニコ動画、Web小説サイト、絵師サイト、それこそ多岐に渡る。ここで共通するのが小説の題材となる一次作品の閲覧となる。ニコニコ動画ではMADや二次動画、web小説では一次二次問わずの文章、絵師サイトでは好きなジャンルにおける二次作品など、それこそ"ネタの宝庫"である。だからと言って盗作やトレースを促しているわけはないので悪しからず。"技術は見て盗め"と故人は良く言うものである。まさにネタの捻出とはそれが原点に当たるのではないかと私は常々、心中にて思っている。何せ、今現在市場に出ている小説媒体の作品の大半、それこそ全ての内容は過去の焼き増しの他ならないのだ。例えば白馬の王子様たる思想、例えばロミオとジュリエットたる恋愛劇、例えば過去に使われた戦術のトレース、例えば神話の改変など、些細な一文においても過去の何かしらに影響を受けているのは間違いないのだ。盗んで当然、という訳ではないが、盗んで学んで来なければ今の世はないと言えるだろう。
閑話休題
何を書いているのか解らなくなったので編集点を入れる。とにかく、先人に学ぶということが大事なのであり、それは小説においても同じことが言える。詳細は語るに飽きたが、詰まる所、"他人の作品を見て妄想を膨らます"ことが重要なのである。少し話が逸れるが、その1においてもそれは同じことが言える。よく小説講座などでは「とにかく本を読め」という謳い文句があるが、まさにそれなのである。本を読むことによって技術体系を盗む、コピーする、学ぶ、そういった経験により、文章力や構成力が増していくのだ。そして、それらの法則はネタの捻出にも関わり、それこそネタ自体をコラージュすることにより物語が構築されていくと言っても過言ではないのである。
ただ、コラージュに専念しろという訳ではない。あくまでコラージュは物語の基盤において使われるべきなのだ。つまりは小説のテーマであるといえよう。またもや話が長くなりそうなので省くが、コラージュ自体はテーマやコンセプトに据え置いて、目的となるネタの捻出、話の節々の展開法においては妄想で補うしかない。だが、この時点でその案件は解決したと言っても相違ないだろう。想像上の話なので伝わり難いと思うが、ネタの妄想というものは、それの原点となる作品に刺激されたからこそ起きる現象である。「これは良い話だな。だが、"こんな展開があっても可笑しくはないよな"」「なんだこの駄作は。"俺ならこうする"」要するにこういうことなのである。気分転換によって得た作品をコラージュするべくして、それに追随してネタの妄想が膨らんだのだ。一石二鳥とはまさにこのことである。

まとめ

  • 文章を書くに当るモチベーションの保持

――過去に書いた作品の発掘。黒歴史を駄目出しして筆力の向上を自覚する。

  • 小説の根幹となるネタの捻出における対策

――技術を見て盗め。本を読め。妄想しろ。元よりこの身は、 ただそれだけに特化した魔術回路――!

戯言

余談として記載するが、これまで支離滅裂に且つ雑多に文章を書き連ねていた私ではあるが、この私もこの文章を書く前まではスランプ同然の廃人状態であったのだ。だが、こうしてモチベーションに関する議題を重ねる毎にキーボードの上を駆ける指達が歓喜し励起しているのがハッキリ解る。一刻前の私とは見違える程の変わり様である。やったー。
と言いつつ、この文字列を読み返してみるとこれはひどいと痛感した。もはや何が言いたいのかわからんね。鬱鬱鬱。
それと書くべきか迷ったのでチラ裏としてこの場に記すが、1999年以降、具体的に言うと型月が大手として浮上してきた辺りの話なんだが、やはり中二病、もしくは厨二病*1というレッテルの壁は怖いものである。型月やLeafなどの代表的なファンタジー作品に付いて回るアンチの存在に並行して構築されてきた中二病という符号。物書きにとっては書きたいものが書けなくなってしまう心理的な壁でもあります。本家に書いたように昔は中二でも何でもなかった宝石ネタや十二星座ネタが、今では自動的に中二病に換算されてしまったりなどと、肩身が狭くなったような気分です。ただそれだけ。
それとどうでもいい話だがSSって略称は二次創作だけに当て嵌まるのな。short storyってんだから一次にも該当するのかと思ってたよ。死死死。

*1:ここではタレントの伊集院氏の言う意味とは別であり、使い古されたネタが中二病にカテゴリーされてしまったことを言います。ニコポナデポU-1とも違います。